TAKAO MARUYAMA SPECIAL INTERVIEW

2023.03.31

TAKAO MARUYAMA SPECIAL INTERVIEW

1年前から決めていた引退。初めて楽しめた最後の技術選 ― 丸山貴雄

“日本一うまいスキーヤー”を決める、全日本スキー技術選手権大会(通称・技術選)。この大会で過去5度にわたって頂点に立ち、2023年3月、第60回大会を最後に惜しまれつつ選手を引退した丸山貴雄さん。最後の技術選を戦い抜いたばかりの丸山さんに大会の思い出や、今回着用した丸山さんオリジナルのウェアについてお話を伺いました。

村本万太郎、矢田部裕=写真
渡部麻結(月刊スキーグラフィック編集部)=文

「やりきった」
心からそう思えた最後の技術選

ご自身にとって最後となる全日本技術選を終えた、いまのお気持ちはいかがですか?

1年前からこの大会で選手を引退すると決めていたので、競技が終わった時点で、かなりやりきった感じがありました。去年の技術選が終わり、あと1年で最後にしようと決めたそのときから、すべての時間が引退までのカウントダウンになっていく。そういった意味で、トレーニングに自分の時間のすべてを充てるつもりでやってきました。

最後と決めた大会が近づくにつれて、いままでと違うところはあったのですか?

今シーズンはヨーロッパ遠征からスタートしましたが、すべての時間が引退までのカウントダウンになるという気持ちが強くなっていき、いま思えば「早く仕上げたい」という焦りがあったのかもしれません。

それが1月に行なわれた、全日本技術選の地区予選で結果に現れてしまいましたね。まだ滑りのベースが固まっていないのにも関わらず、早く仕上げなければという気持ちが裏目に出て、結果としては転倒。大きな怪我はなかったものの、少し休養の時間をつくることになったんです。この休養が、自分の滑りを改めて作り直すために必要な時間だったと思っています。

気持ちの面で、いままでと違う感覚などはありましたか?

結果に執着しすぎると、優勝すればいい大会として記憶するし、それ以外は悪い記憶として残ってしまう。だから、今回くらいは結果にこだわらず「ここまで仕上げられたんだから、最後は楽しんでみようかな」という気持ちが、初めて芽生えました。2001年から技術選に出続けて、初めての感覚です。

実際、今回の技術選は楽しめましたか?

そうですね。でもその反面、やっぱり点数がついて、順位がつく競技だから「もっとここを追求すれば滑りがさらによくなったな」と感じることも正直ありました。だけど、いまできる精一杯の滑りが表現できましたし、最後まで楽しめたと思います。

最後と決めた技術選。特に印象に残ったことはありましたか?

今回は滑りのフィーリングもよかったし、本番でもしっかり自分の滑りが表現できたと思っていますが、そのなかでも引退セレモニーのラストランで滑らせてもらったあの1本は、この大会でいちばん楽しかったな。自分が「こうしたい」と思う滑りを最後にさせてもらえて、うれしかったですね。

あとは、ずっと技術選でのライバル同士だった戦友というか、先輩や後輩、同い年の友人などと、いろいろな話をしながら最後の大会を一緒にまわれたことも印象的です。そして若い選手のなかにも「いい滑りをするな」と思う選手がたくさんいたし、刺激をもらえた大会でした。

選手生活の最後に選んだのは
地元・白馬にちなんだウェア

今回の技術選で着用されていたウェアは、丸山選手のために作られた1着とのこと。あのウェアを作るに至った経緯を教えてください。

今回着用したウェアは「オリジナルのウェアを作らせてほしい」と、僕からリクエストをさせてもらって実現したものです。デザインのテーマにしたのは、僕が生まれ育った白馬村のシンボルともいえる白馬三山(白馬岳、杓子岳、白馬鑓ヶ岳)。

この白馬三山をプリントしたいと最初に希望を出して、デザインを調整していきました。最終的には、ジャケットに白馬三山の山頂の部分をプリントして、パンツには山麓の部分をプリントして。全身で山の全体像が見えるようなデザインが完成して、僕もとても気に入っています。

初優勝(第47回大会)

引退セレモニー(第60回大会)

丸山さんは、いつからデサントのウェアを愛用されているのですか?

2001年に技術選デビューをしたときからです。選手生活のほとんどをデサントとともに過ごしたぶん、数え切れないくらいの思い出があります。でも、これだけ大きな企業でありながら、僕に対して家族のように接してくれるあたたかさがあるんです。

だから僕自身も結構、ウェアに関してたくさんリクエストをさせてもらったし、1人のプレーヤーのこだわりをここまで尊重してくれる、そんな信頼関係のなかでお付き合いをさせてもらったことは、すごくありがたいと思っています。

そして、僕はプレーヤーではなくなりましたが、1人のスキーヤーではある。そういった意味での新しい挑戦がまもなく始まりますが、これからの活動もデサントと一緒に頑張っていけたらと思っています。

新しい挑戦とは、どういったものですか?

いままでの僕は滑りをパフォーマンスとしてお見せする立場であり、ゲストの皆さんと一緒にスキーを楽しむ立場でもありました。だけどこれからは、ゲストの皆さんにウィンターリゾートそのものを楽しんでもらえるよう、ブランディングをする立場になります。

スキーやスノーボードをするだけではなく、レストハウスや、滞在するホテルなども含めて、山全体を楽しんでもらうための提案をしていくのが新たな僕の仕事です。選手生活で培った経験を活かして、来てくれた人たちがワクワクしたり、快適に過ごせたりするようなリゾートを目指して、頑張っていきます。

新しい挑戦も応援しています。選手生活、本当にお疲れさまでした!

丸山貴雄(まるやま たかお)

PROFILE

丸山貴雄(まるやま たかお)

1978 年11月21日生まれ、長野県白馬村出身。幼少からアルペン競技に打ち込み日本大学に進学。2001年に学連から全日本スキー技術選手権大会に初出場。10 年に初優勝を果たすと続く11年、12年と男子史上初となる総合3連覇を達成。15 年の第52回大会では柏木義之と同点優勝、17年の第54回大会も制し、5度の頂点を極めた。第60 回大会で惜しまれつつも引退を表明。20年以上にわたり名門・白馬八方尾根スキースクールで指導活動を続け、SAJナショナルデモンストレーターを9期務めた。